支店長時代の実話シリーズ・愛媛編 最終話
動かない石は、放っておいたら永久に動かない
前回、百貨店セミナーをきっかけに「アサヒだけでなくサントリーも認められた」という空気が地域に広がっていった話をしました。
この一件は、酒販店・料飲店の現場にも少しずつ影響を及ぼしていきます。
呪縛が、少しずつ解けていく
それまで酒販店は、料飲店から相談を受けるとごく自然にアサヒを勧めていました。地元工場産のビールでなければ文句を言われることもあった。
料飲店は、知らず知らずのうちに競合の取り扱いへと心理的に誘導されていたのです。
その構造が、百貨店の一件を境に、少しずつ緩んでいきました。
酒販店が料飲店に提案する内容にも、徐々に変化が及んでいったように思います。
2年ほどの間に、サントリーの取り扱い店はほぼ倍になりました。
「浅井さんは、その体験はできないよ」
ここで、正直に書いておきたいことがあります。
シェアが大きく動くという結果を、私は在任中に見届けることはできませんでした。
当時、県のある方からこう言われたことがあります。
「動かない石は、放っておいたら永久に動かない。でも、少しでも動かす努力は大事だよ。浅井さんが今やっていることは、石の足元をぐらぐら揺らしているに過ぎない。石は動き出したら、簡単に転がるようになる。——でも浅井さんは、その体験はできないよ」
その言葉どおり、私が愛媛を離れたあとも、動き始めた石は転がり続けたのだと思います。
今振り返って推定すると、当時のシェアからおよそ2倍以上にはなっているのではないかと感じています。
後になって知ったことですが、料飲店で提供される樽生ビールのシェアは、私が赴任した当時、愛媛では最下位に近い状況でした。それが10年ほど経った頃には、愛媛県で2位になっていたそうです(あくまで推定の数字ではありますが)。
私自身も、後任の担当者も、その瞬間を直接見届けたわけではありません。石の足元を揺らした人間が何人も入れ替わりながら、地道な現場の積み重ねが10年がかりで実を結んだ、ということなのだと思います。
戦い方ではなく、戦う場所を変える
振り返ると、この一連の動きは酒税法上の商流——卸店・小売店・料飲店——を正面から攻めたものではありませんでした。
競合が長年かけて築いた地域の支持基盤に、同じやり方で正面から挑んでも、勝ち目は薄かったでしょう。
代わりに選んだのは、行政・財界という「別の入口」から、地域の中で認知され、信頼される存在になっていく道でした。
根性や訪問件数の問題ではなく、そもそも「どの土俵で戦うか」を設計し直す。それが、最下位シェアの愛媛で最初にやるべきことだったのだと思います。
そして、石を動かす努力そのものに意味があること、その結果を自分の目で見届けられるとは限らないこと——この二つもまた、この経験が私に教えてくれたことです。
※登場する企業名・役職名の一部は変更していますが、実際にあった出来事です。

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