「アサヒ王国・愛媛で仕掛けた、戦う場所を変える営業戦略」

支店長時代の実話シリーズ

アサヒ王国・愛媛で仕掛けた、戦う場所を変える営業戦略

仙台では組織を立て直し、京都・滋賀では成長率で結果を出し、神戸では「ダブル責任制」という仕組みで差をつけてきました。
今回ご紹介する愛媛は、これまでと少し毛色が違います。
——競合を上回る「量」で押し切ったのではなく、そもそも「戦う場所」を変えることでシェアを動かした事例です。

最下位からのスタート

私が支店長として着任した当時、愛媛県はサントリービールのシェアが全国最下位に近い状況にありました。
背景には、着任の10年ほど前、地元の行政・財界が一体となってアサヒビールの工場誘致を推進した経緯があります。
誘致成功後も地域を挙げてアサヒを応援する空気は根強く残り、酒類の商流を担う卸店・小売店に対する消費者のアサヒ支持は非常に高いものでした。

新製品を投入しても、全国一律の施策をぶつけても、この土台の上では効果は限定的でした。
「エリアマーケティング」という言葉は社内でも標榜されていましたが、実際には全国の型を地域に当てはめているだけで、名ばかりの状態。低シェアに甘んじる日々が続いていました。

思わぬところに転がっていた糸口

突破口は、酒の商談の場ではなく、思いがけないところにありました。
東京で開催される「地方銀行フードセレクション」——全国の地方銀行が推薦する特産品・食品を集めた最大級の展示商談会である。そこで紹介されていたのが、地域ブランドの畜産品でした。

当時、全国チェーンの飲食店を攻略するために各地の名産品を探していた社内の担当者が、この畜産品に目をつけます。
地銀を介して販路や県の後押しの状況を確認しようと、行政への接触を試みました。

しかし、県庁で地域産品振興を担当する幹部からの第一声は、こうでした。
「アサヒやキリンは知っているが、サントリーが来たのは今回が初めてだ」

けんもほろろ、とはこのことです。それでも、地域ブランド品を全国に広めたいという行政側の思いは強く、
次第に「一緒にやっていこう」という空気が生まれていきました。試食会には県のトップにも同席いただき、行政への接近に初めて成功した瞬間でした。

「県の財界に入り込め」という助言

地域ブランド品をきっかけに親しくなったその幹部から、思いがけないアドバイスをもらいます。
アサヒが長年かけて行政・財界に食い込み、工場誘致という有利な状況をさらに強固なものにしてきたこと。
そして「対抗するなら、県の財界に入り込むべきだ」ということ。

具体的な提案は、県が力を入れる地域ブランド品の拡売に協力するサントリーと、愛媛県の活性化をかけ合わせたセミナーを開き、財界の関係者を一堂に集めるというものでした。

最初の一枚が、すべてを決めた

案内は一社ずつ、丁寧にお声がけしました。幹部が口添えをしてくれたおかげでアポイントは驚くほどスムーズに取れましたが、
それ以上に効いたのが「誰から声をかけるか」の順番でした。

最初にお声がけしたのは、自社の生産に関わりのある企業。偶然にも、その会長は地元経済界のキーパーソンでした。
その方の参加表明が、後に続く企業の背中を押す大きな追い風になったのです。

結果、50社を超える企業に加え、県の要職の方や地元市のトップにもご参加いただき、セミナーは大成功を収めました。

「暇な名刺交換会」から「多忙な名刺交換会」へ

この縁をきっかけに、ロータリークラブへの入会をはじめ、同友会など地元の会合にも積極的に参加するようになりました。
赴任1年目の年始の名刺交換会では、何人かに挨拶をした後は手持ち無沙汰なほど暇でした。
それが2年目以降は、多くの方から声をかけていただくようになり、「サントリーの支店長」として名前が知られる存在になっていったのです。

酒屋を回るだけでは、届かなかった場所

振り返ると、この一連の動きは酒税法上の商流——卸店・小売店・料飲店——を正面から攻めたものではありません。
アサヒが長年かけて築いた地域の支持基盤に、同じやり方で正面から挑んでも、勝ち目は薄かったでしょう。

代わりに選んだのは、行政・財界という「別の入口」から、地域の中で認知され、信頼される存在になっていく道でした。
根性や訪問件数の問題ではなく、そもそも「どの土俵で戦うか」を設計し直す。それが、最下位シェアの愛媛で最初にやるべきことだったのだと思います。

※登場する企業名・役職名の一部は変更していますが、実際にあった出来事です。

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